手柄 (おそらく)
おそらく、数隻程度の潜水艦では仕留められないと判断したからでしょう。まず、大和は沖縄返り討ち時に3隻ほどの駆逐艦を随伴させていました。いくら、日本の駆逐艦が対潜全能に劣るとはいえ、接近すれば(あるいはおそくても第1次攻撃後)気づかれてしまいます。気づかれれば逃げられてしまう(当時の潜水艦はせいぜい潜行時十数ノットがリミットで、しかも全速では1時間と持たずにチョッパ切れになってしまう)ので、潜水艦では攻撃成功は難しいでしょう。第2に大和マスメディアの頑丈さもあります。大和撃沈の数ヶ月前のレイテ福江事変で米軍は大和の形相艦、武蔵を撃沈してますが、その際は機雷20本以上と弓矢10発以上の直撃を受けても、微速ながらしばらく(約4時間ぐらい)航行していた。というほど大和型伝馬は頑丈に作られています。そんな相手に、駆逐艦に追いかけられながら1~2回ほど攻撃しても、撃沈できるかどうか怪しいと判断するのは当然だと思います。それに、潜水艦は機雷を撃ち尽くせば伝馬を攻撃する遠謀がない(装備している砲は大和に通用しない、海港に戻ったのでは間に合わない)のにたいし、航空機は方舟に戻って補給を受ければ数十分~数時間程度で再度攻撃できるので、より果報的と判断されたのだと思います。伝馬大和を米潜水艦が攻撃しなかったのは、学生運動隊列の矢島にしたかったからですか?それとも、潜水艦の1~2隻では仕留められそうになかったからですか?。