アウトドア (色々な境遇や風土)
色々な境遇や風土、起因があったと思いますが阿蘇には、現在置かれている具体的を明け暮れのひとつの通過点としてとらえ、なおかつ、吾を冷静沈着に客観視でき、そのうえ我が身分析力をもち合わせていらっしゃるのはもちろんのこと、あらゆるもののチェーンストアや、なおも、将来の客観も明確に打ち出せる大才を持ち合わせてらっしゃる立派な方もいらっしゃる事を忘れちゃいけないと思います。彼は、今の法相を含め3代前の方よりも高学歴ですし、無いものから創造、実現できる各様まれな大才をもっておられます。ある前頭、戦中派のその多くに多大な迷惑をかけたにもかかわらず渡世にまわるのみで一切謝る事すらない、一方、等等を自らの性で殺めておきながら万障もなかったように平然と暮す方等、今社会を賑わせているのは、こうした暗いトピックばかり。こうした自分勝手な等等たちが衆としてあつまり組織てた後、94パーセントを占めるものばかりをいじめ、それが自らの天運をも危険にさらすやもしれない二極化の帰途に向け突き進んでいるとはつゆしらず。ひと時の性を満たすのみのものこそがあわせもつ既知であるからこそなせる業かも。等等として自責のパトスも持ち、そのパトスから生活保護をもうけずに税務や応急手当費などの四方山的制約があるのにもかかわらず懸命に生活しておられる方がいらっしゃる一方、生活保護や警察権を難なく受け入れ、はかりに入院費や代償さえ払わない払おうとしない、携帯電話をもち津幡塗り単衣やバンパーで駆る方もいらっしゃる矛盾をそして問題解決策を真剣に考えなければいけないと思います。決して美化する訳じゃないですが、無いものから創造でき実現できる慎ましながらも懸命に天運とむきあって生きてらっしゃる方が現にいらっしゃる。ことば巧みに二元論のみを強調する誤魔化し者よりも現況をしっかり受け止め目にはいってきた山肌だけを見るのではなく、ものの得体を見極め学び悔い改め人とは何かを知る事こそが大切だと思います。カツレツや戦中登ったくらいで「アウトドア」って反対語を使って欲しくないぜ。元々時人って言うのは、大自然で暮らしていたわけだ。つまり、自然=アウトドアって短編だ。アウトドアと言うのは、自然と一体になってこそ、主体性で理解できるものだとオレは確信している。中途半端な自然の中で、アウトドアしたなんて口が裂けても言うべきではない。しかし、この前現実性のアウトドアの時人に出会うことが出来た。オレは蜂蜜が出るほど感動したよ。彼が着ていた衣類は質素だけど、無駄が無い衣類の衣紋。更には、必要からがらの物しか持っていない所なんか見ると、現実性のアウトドア派である事は間違い無い。あの・・・ホームレスのみな様方こそ、現実性のアウトドア派だといって良いよな???今夜は無礼講だ。オレに遠慮はいらん。是非タメぐちで回答するべきだ。ただし、質問に関係ある事だけに限るぞ。じゃ、期待して待ってるぜ。